武井佳子先生インタビュー

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 彫金?ジュエリー?いえいえ刺繍なのです。フランス・アート刺繍教室「Salon de Luxe」の主宰、武井佳子先生にお話を伺いました。本場パリのオートクチュールファッションの現場を支えてきた工房「メゾン・ルサージュ」の技術を学ぶ学校「エコール・ルサージュ」を卒業し、現在の活動を始められて8年。刺繍にいきつくまでの先生の周りにおこった出来事や制作に対するスタンスにまつわるお話は小説を読んでいるような、とても引き込まれる内容でした。

―異素材を組み合わせた、魅力的な作品の色づかいや質感の構想づくりのベースには幼少時代やルサージュで学ばれた時の環境が大きく影響しているかと思いますが、制作のインスピレーションを得たい時に参考にされる物事はありますか?

子どもの頃、アリや虫をじっと観察しているのが好きで、そういうものの目線で苔なんかを見ていると虫にとっては苔が杉くらいの大きさに見えるんだ…とか、そういうことを考えていました。
それから万華鏡をずっと眺めていたり。
作品制作でも一番好きな時間は、仮縫いで素材を土台の布上に置いて出来上がった、こんもりした小さな山を土台と同じレベルから眺める時で。何もないところに姿が現れるのにロマンを感じちゃうんです。それを見てインスピレーションが湧いてきて…素材と対話しながら指示される様に、呼ばれるがままに刺してゆくうちに作品が出来上がっていく。

―物語を考える作家が、「キャラクターが勝手に動き出して物語が自然に流れてゆく」と話すのと同じ道理なのですね。

なので、「なぜココに刺したのか?」と聞かれれば「それは私が決めたことではなく、ソレが決めたものだ」としか答えようがないんです。

―ほかに、積極的に情報収集をしている物事はありますか?

ありとあらゆる展覧会をくまなく見ている作家さんってものすごく多いですけど、私はそれはしないです。海外の主要な美術館は大体見てきたけど、ムンクとか全然違うジャンルの方がインスピレーションは湧きました。(笑)フランスにいる時もルーブル美術館より、ルーブルがやっているアンティークモールがあってそちらに通い詰めていました。それはもう宝の山で…ビターーーーっとウィンドウに貼り付いていました。工芸が好きなので、アンティークモールや蚤の市に通っていましたね。

 

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―子どもの頃から、身の回りのものはほぼお母様の手作りだったという先生。現在のサロンもとても魅力的な空間づくりで、至る所に先生の美意識を感じます。

とにかく母には感謝をしていますね。既製品でなく手作りのものを与えてくれていましたし、「いいものは財産になるから」と言って江戸時代に作られたような彫金の精巧な細工が施された骨董品だったりお芝居だったり、美しいものを沢山見せてくれました。アンティークのオークションへ出品される品物が載ったカタログなども見ていましたよ。すべてに対して贅沢をする訳ではなかったのですが、「いいもの」を見ていた経験は具体的にここ、とは言えないのですが、無意識に制作へ活かされていると思います。
私の代表作になっている虫をモチーフとした作品も、どこで虫を調べて…という訳ではなくて昔見た彫金の作品から発想を得ているかもしれません。

―だから作品から「リアルさ」より「美しい」と感じる姿を見た人がキャッチできるのですね。先生の制作のベースにあるものが少しずつ見えてきたような気がしてきました。 「フランス・アート刺繍」の世界へ惹かれてゆく経緯をお伺いしたいです。

私が商社へ就職し社会人になりたての頃はバブル全盛期でした。この時代は私も手作りを忘れ、ブランド物を買い漁る日々で。ブランド物の善し悪しもここで大体わかったし、虚しさを感じるようにだんだんなってきたんですね。ブランドの名前に着せられている虚しさというのかな…「この空虚感はなんだ」って思う様になり、でもその間も母は変わらず手作りを貫いていて、自分の身につけていたブランド物から着想を得て制作したり相変わらずだったんです。 それを見ていて忘れていた創作欲がとうとう爆発した訳です。それはもう「止めてーーーー!!!!!!」て位に。頭のイメージに手が追いつかなくて仕事中もモヤモヤするし、休みをとっては制作を進めていました。

―かなり重度の制作欲がやって来たのですね。

そうやって出来上がったもの、バッグやアクセサリーを身につけて会社に行くと「それいいわね!」って段々社内で評判になってきて友達への贈り物を制作したり、注文を受けるようになって余計に制作するものが増えていったんです。それで制作にこれ以上時間が割けないなら会社を辞めよう、と思い退社しました。
ただ、これまで独学で制作してきたものだから、周りのお友達は喜んでもらえるけれど今後これを仕事にしていくとなったらプロの目はごまかせぬ、という事で初めてそういった技術を学ぶ場所を探し始めました。
制作に使う素材を探しに、今はもうないのですが目黒にあったアンティークモールのお店巡りをしていた時に、店頭で品物を見ていたら店主の女性に声をかけられたんです。「それを何に使うの?」と。それで事情を説明したら興味をもってもらい、後日自作のバッグを持っていったら「アナタ、ルサージュに行ったら?」と言われたんです。

―「ルサージュ」の言葉が!

私もそれまで耳にしたことのない言葉だったので「???」という印象でしたが、それと別でKENZOをパリにデビューさせたという、パリで邦人初の出版社を立ち上げた方に会ってみたい!という思いが当時あって、どうにかツテを頼ってその方にお会いできたことがあったんですね。その時も作品を見てもらったところ「ルサージュへ行ったら?」と…

―ここでもまた言われるととっても気になりますよね。

ここまでで二人の方にルサージュ行きを勧められたのでどんなだろうと。それでいきなりルサージュに見学に行くことになりました。運良く親切なスタッフの方に校内を案内してもらっていたんです。こちらが真剣に見学してるかたわらで、同伴していたパートナーがなんだかモジモジしていたんですね。(笑)なんでかというと部屋の隅に置いていた私のバッグ(もちろんお手製)に人だかりが出来ていて、生徒さんや先生が凝視していたんです。しまいには校長まで登場して「あなたはウチに来るべきよ。いつから来る?」と。なんだかトントン拍子に進んでいったのですが、当時個展を控えていたのでそれが終わったらパリに来ますとそこで約束し、私のルサージュ行きが決定しました。

―本当に不思議な力を感じますね。。。

このルサージュ行きまで、押されて流されて…をすごく感じる時期でした。

―本来であれば留学生で多数を占めるアメリカ人が9.11直後という影響もありほとんどいない、しかも日本人も先生一人という、少し特殊な時期でもあった先生の留学時代。そんなルサージュ在学中の印象的なエピソードがありましたら教えて下さい。

5月1日、フランスはメーデーでお休みです。現地の雇用者が労働者のみんなにスズランを配るしきたりがあるので、この時期あちこちからスズランを売りに農家の人達がやってくるんですね。ルサージュではメーデーの前日にムッシュが学校中のみんなに配って回る習慣があります。

―さすがフランス…オシャレな習慣が息づいているのですね。

ルサージュの講師のうちディプロマという勲章を持つ人間国宝級の職人が二人いて、一方はアーティスティック、一方は超スパルタととても対照的な性質の方々だったのですが、この日ちょうどスパルタな先生の授業の真っ最中で、途中でムッシュが教室に入って来たんです。
先生にとってムッシュは神に等しい存在。もちろん入室した瞬間「キリーーーーーツ!!!!!!」となるのですが生徒達にとってムッシュはおさわり大好きなおじいちゃん、という一面も持っていたので、生徒達は「わームッシュだー♡」と温度差があるんです。(笑)
生徒達にスズランを配っている最中に一回品切れになったので、ムッシュがお花を取りに一旦退室して戻って来たんですね。それで私に対して「キミにはあげたっけ?」と聞いてきたので「もらいましたよ」と答えようとする前にその先生が「彼女にはもうあげたわ!!!!」と凄い剣幕で答えていて…アジア人蔑視の態度があからさまだったのでなんだか印象に残っていました。

もう一方のアーティスト気質な先生とは「佳子と私たちは同じ刺繍家としての血が流れているのを感じる。だからあらゆる物を教えてあげたいし頑張って欲しい」と言ってもらえたことがあって「刺繍家の血か…ふふ」と嬉しくなり余計に制作に身が入りました。

 

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―授業以外の時間はどう過ごされていらっしゃいましたか?

とにかくカリキュラムが膨大なんですね。なのでレッスン中に教わったテクニックを用いて進められる部分が他にもいっぱいある。それを次のレッスンまでに仕上げていくことだったり、入学前に開いた個展で受けた注文を制作していくこと、自分の作品制作をひたすらやっていました。

―同時に3つのものが進行していたなんて…刺繍漬けの毎日だったんですね。

大好きなアンティークモールや蚤の市、日曜日に開くオーガニックの食材が並ぶマルシェに通って、それ以外はずーーーっと部屋で制作でした。

―もちろん技術の上達には時間を積み重ねる事が欠かせない条件ですが、ほかに上達の早い人達の共通点はありますか?

几帳面だから良い、ということでもないんです。逆に細かい事に気が散りすぎて全体のビジョンをとらえにくくなってしまったりするので。だからといって雑すぎてもダメで、バランス感覚が大切だなあと思います。それから想像力。色彩感覚もそうだし、あと数学的な頭を持っている人もよいのでは。教室をやっていてわかったのは、初めだけでは見極められないこと。向いてないかな、という人が長い時間をかけてものにしていく事ができることもあればその逆もある。辛抱強さや根性も必要で、生徒さんには「一年後・二年後の自分を目指して今を頑張って下さい」と言っています。そうすればきっと後で感動できるから…と。あと、ちょっとコツを覚えた時に少しでも調子に乗っちゃうとすぐひっかかっちゃうから、ある生徒さんが「謙虚なキモチで、やらせていただくって位がちょうどいい」と言っていましたね。(笑)

12年勤めた商社を辞め、バブル生活を捨て、自分にしか出来ない自分の一生の仕事を探しに来たという自負を持ちルサージュでの日々を過ごした武井先生。制作途中で自分の手を離れたものを世に出すことはしないという固い意思を持ち、卒業後も数多の企業からの誘いがあったのにも関わらず自分の手で最初から最後まで作品を作り上げる信念を貫く熱いパッションを持っていました。プレタポルテ(既製服)が主流の今、次期オートクチュールパリコレにて作品を提供することも、なにか必然的なものを感じます。本当に「良い」「美しい」ものや技術が何百年を経ても残り続けることを子供時代から肌身をもって感じてきた武井先生だからこそ、目先の商業的なメリットよりも遥か先の、作品としての価値を見据え現在制作をしている姿勢は、とても自然体でした。

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―その後も話は膨らみ、刺繍という分野についての話題に。

何百年前の衣裳でも普通の布の部分はだんだん弱って取り替えていかなきゃならなかったり、なくなってしまったりするのだけど、刺繍の部分は色が褪せていても土台の部分がしっかり残っていたり、どんな技法が用いられていたのかわかるんですね。持ち主は変わっていくけど作品は残る、そういうものを作っていると思うと感慨深いです。
一度はいかに機械化できるか、という工夫の出し合いで手仕事を一蹴された時代もありましたが、ここ5年程で手仕事が見直されて来た潮流があります。既製品は流れ作業で作られたものだから中身は空っぽだけど、手仕事は時間をかけた分の魂が込もっている。もしかしたらそのパワーが自分の作品を買ってくれた人達が「作品を見た時に元気を貰える」「勝負の時に身につける」と言ってくれるのかもしれません。

―日本の戦時中の女性達が赤紙をもらった出兵前の男性に贈るアレ…

「千人針」ね!

―まさに気持ちが込もっているものの代表格ですよね。

全ての国・民族の中で人の手が一番加わっているのって刺繍だと思います。刺繍って精神の世界、写経に近い。それぞれの歴史に深く関連している工芸だから、調べて本にしたらいいなあと思ったこともあったけど、膨大すぎて果てしない作業になりそうなので断念しました。(笑)

―刺繍以外に興味がある事、学びたい事はありますか?

もし、時間に余裕があればテキスタイルをやりたいなあと思ってます。染め織りを作って立体的なオブジェを空間に飾る作品を見せてもらったらすごく魅力的で興味を持ちました。空間を装飾するってことに興味があるのかも。密かな夢がフランスのホテル、ムーリスのスイートルームのインテリアを全て自分の刺繍で装飾すること!まだどんな部屋なのか、中にも入ったことがないところなのですがいつか手がけてみたいと思っています。

最後に武井先生の夢まで教えていただくことができました!今後のご活躍を心よりお祈りしております。どうもありがとうございました。

武井佳子先生のお教室、「Salon de Luxe」の情報はこちら
http://www.geijutsumura.net/learn_detail_l0000424.html

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