青山のアトリエを拠点に、カルチャースクール・大学・海外などなど・・・様々な場所で絵を描く楽しさを伝え続けるアトリエドガ主宰・やすい香寿先生。振り返れば人生のほとんどの年月を、講師として過ごされてきました。幼稚園の子ども達からお年を召した方々まで、出会ってきた人の数は計り知れません。
これまでの事やこれからの事などについて、お話をしながら感じたのは、先生のバイタリティの高さです。全身から溢れる「絵がたのしい!」というオーラを浴びてまいりました!
―絵を好きになったきっかけを教えて下さい
子どもの頃からお絵描き教室に行っていて、それで絵が好きになりました。お勉強よりお絵かきがいいかなあって思ったんです。
―人に教えるようになったのはいつ頃からでしょう?
大学の時から児童絵画、子ども達の教室でアルバイトしていました。当時は子どもが多い時代で、幼稚園でも一学年に5クラスいるんです。その頃は豊かになってきた時代だったので、外から絵の先生を呼んでくる幼稚園が多くなってきたんです。卒業してからもそこへ教えに行っていました。
その後もだんだんと日本が良くなって、子どものお受験がすごい時代になってきて・・・お受験に必要なお絵描きや工作とかを子ども達に教えることもしていました。
それが下火になってきた頃、美術学校を作ったんです。定年退職された方を集めて、幼稚園の“放課後絵画教室”の先生を養成する学校なんです。
けっこう有名な先生達がみえて、卒業生にはうちの指定の幼稚園で放課後絵画教室の先生になってもらっていました。
それも下火になった時、今度は子育てが終わった奥様方に絵を教え始めて、今に至ります。
―この時点で何年前のお話なのでしょうか?
30年前くらいです。
そしてこれが今の「アトリエ・ドガ」ということなんですね。大学生の頃から人生のほとんどの時間を、人に絵の楽しさを教え続けていたのですね。
そうなのよ~
時代の流れにあわせてさまざまなケースで絵を教えてこられたやすい先生。それぞれの時代のお話を、ひとつひとつお聞きしたらきっと連続テレビドラマ小説クラスになるのでは・・・というくらいに濃密な半生を過ごされていらっしゃいました。
―海外にも滞在されていたというお話を伺ったのですが?
パリに滞在しているときも、日本からみえていらっしゃる方に「せっかくパリにいらっしゃるのだから日本のお友達やご家族に絵はがきを描いて贈りましょう」と声をかけて絵を教えていました。あと生徒さんを連れてフランスやイタリアやヨーロッパに絵を描きに行きましたね。
若かりし頃はパリに滞在していることもありました(笑)
―旅行はお好きですか?
はい。今は日本の風景を見に行くのが好きです。外国もいいけれど、日本の田園風景とかいいですね。
―最近のご活動はいかがでしょうか
生涯学習大学で50~90代の方々に教えています。私は彼らに言ってるんです。「人はね、一人減り二人減り天国に行ってしまって会えなくなるじゃない?自分にとっては悲しいけれど、でも本当のお友達はね、私のために咲いてくれている野の花よ、庭の花よ、公園の花よ」って。そう思えば寂しくも辛くもないんです。「私のために咲いているのね」って口にしたらおかしがられるから絵を描きましょうと。そしてある時病院に運ばれてベッドでじっとしてなきゃいけなくなるじゃない?お見舞いに来てくれた方からのお花をパパパッとハガキに描いて贈ってあげるんです。それって最高のお返しにならないですか?そんな絵を描かせたいから私は絵を教えているし、教えていきたいんです。
なんとインタビューの翌日も、ご高齢の生徒さんたちを初島のスケッチ旅行に連れて行くというイベントを企画していらっしゃいました!
イルミネーションが評判の初島の夜景を見て「きゃあっ」と感動させてあげたいとキラキラした眼差しで話して下さった先生は、まだまだやりたいことが沢山。
これからも多くの人々に絵を描くたのしさを発信し続ける先生をスタッフ一同応援しております!
やすい香寿先生のお教室、「アトリエ・ドガ」の情報はこちら
http://www.geijutsumura.net/learn_detail_l0000093.html